イタリア モデナへの道(前編)

国産スポーツに憧れた学生時代

私の家はまじめな公務員一家。物心ついた時から家の駐車場にはU12型の日産ブルーバードがあった。「Super Select」のエンブレムが誇らしげで、この時代にはまだ車種別のエンブレムが採用されていた豪華な時代。全車メーカーのエンブレムが付くようになるのはもう少し後のことである。クルマの買い替えをほとんど行わない家だった為、セダンを見て育った私は「これがクルマだ」と刷り込みのように思っていた。「三つ子の魂百まで」とはよく言ったもので、SUV全盛の今でもスリーボックススタイルがお気に入りである。結局ブルーバードは17年所有し、私が免許を取って練習するに至るまで我が家にいてくれた。カセットテープのデッキや、ガソリンスタンドで入れてくれた灰皿の芳香剤が懐かしく感じられる。

ディーラーとのお付き合いを重視していたのかはわからないが、自然と次に乗るクルマも日産車であった。この時の憧れはR34スカイラインGT-Rをトップにセダンも展開していたので、家族車としても申し分なかった。しかし結果我が家に来たのはプリメーラ(P11型)だった。少々がっかりはしたが、調べるとBTCCやジムカーナでの実績もあり、控えめなエアロもついてまさに「知る人ぞ知る」立ち位置が絶妙だった。コンパクトボディに固めの足回り。当時伯父が乗っていたゴルフの走りを彷彿とさせる乗り味だったのを覚えている。純なスポーツカーに憧れて吸排気に手を入れ、スペーサーをかませるなどクルマ弄りの楽しさを学んだ。家の借り物クルマではあったが、青春時代はずっとプリメーラと過ごした。

ちょうどその頃である。E60が後期モデルとなり、BMWに乗るならE60と決めていたのは。そして今、そのクルマが愛車となっている。

P11型プリメーラ グレードはCVT搭載のTm-Sセレクション

 

「5」という数字の運命

 運命とか宿命とか定めとか。そういうものに逆らって生きてきたつもりでも、やはり人生は決められたシナリオの上を進んでいるように思えてならない。

例えばパイロットになりたいと思っていてもその職に就くことが決められていなければどんなに努力してもパイロットにはなれない。時にあきらめの免罪符として、人は縁がなかったとか運命という言葉を使う。これは人間関係でも乗るクルマでも同じではないだろうか。

 

良いクルマ。BMWは一言でいえば良いクルマである。

同時に自分にとって輸入車はベースグレードで十分とも思わせてくれたのが530iである。初めて自分で契約したクルマが5代目のBMW530iとなれば華々しい愛車遍歴のスタートを切っているが、これをチョイスした理由は「冒険」だった。今あえて今まで乗っていた車よりも古い車に乗るということ。そこにはBMW乗りなら一度は通るBMW直列6気筒への憧れがあることは言うまでもない。

同型のV10エンジンを積んだM5という存在。そのけたたましい咆哮はとてもBMWのイメージから想像ができないくらい刺激的だ。元々ピュアスポーツよりもGTカーが好きだった私は、4名乗車ができてモンスターエンジンが積まれている「羊の皮を被った」類に強く惹かれた。絶対的なカリスマをトップに据え、似通ったスタイルでグレード展開する販売方法は、昔のスカイラインがそうであったように、多くのファンの心を掴んだ。もれなく私もその一人だ。細かな変更点はあるものの、M5とE60のMスポーツは見た目がほとんど変わらず、よっぽどのファンでない限り違いはわからないだろう。

E60とダビデアルカンジェリの記述がある
フェラーリと鉄瓶』奥山清行

さて、輸入車を知ってからピニンファリーナという響きに高貴なイメージを持つ。深く知っていたわけではないが、イタリアのデザイン工房であるらしくフェラーリを手掛けることくらいは知っていた。愛車E60のデザイナー ダビデアルカンジェリがかつて所属していたということで、ピニンファリーナという名詞に行き着いたことは自然の流れだったのかもしれない。そこでエンツォフェラーリをデザインしたKEN OKUYAMAの名前を知る。輸入車をデザインした日本人では元E90(5代目3シリーズ)乗りとして永島譲二という名前を知っていたが、エンツォフェラーリをデザインしたのも日本人だったとは知らなかった。このKEN OKUYAMAこと奥山清行氏は2004年に5代目クアトロポルテをデザインしており、4ドアという名のこのクルマにはなんとフェラーリのエンジンが積まれているという。ただ見た目はカッコイイとか尖ったスタイリングではなく、何となくfunnyな顔つきの女性的なプロポーションである。偶然か必然か、私はこの「5代目」に縁がある見た目フツーのモンスターマシンに興味を持った。

 

イタリア車への誘い

正直、わかりやすいカッコ良さではE60はシビレる。買い物帰りに駐車場で眺めても、どこから見ても統制の取れたバランスの良い形をしているなと思う。街中で走っていてもつい目で追ってしまうほど、他車に埋もれないデザインだ。もし、5代目クアトロポルテを目で追うようなシーンに会うとすれば、それはきっと爆音で走っているからだろう。対照的にそのデザインはおそろしく優美なものだ。このデザインを心の底から良いと思えるようになるまでには、私はもう少しオトナとしての嗜みを積まなければならないようだった。

このクルマに導かれたのは、官能性を味わってみたくなったからだと思う。元々甲高い鳴きの音よりは、SRエンジンやRBエンジンのようなマフラーをいじった重低音が好きだったが、ここ数年の世間の流れを見て一度は本格イタリアンスポーツが奏でる「音」を無性に味わってみたくなったのである。特に後席に人が座れる実用性を兼ね備えたスポーツセダン好きとしては5代目クアトロポルテはジャストミートだった。ところが車体代のみならず維持費に足がすくむ。デュオセレクトといわれるミッションは2万キロで交換だとか。しかも多額の費用を要するらしい。そんな手のかかるコを普通のサラリーマンが手を出せるのだろうか…。