
「どうしてrookieさんはマセラティを選んだんですか?」
最近そう質問された。その答えを探るとこのクルマの愉しみ方が見えてくる。
なぜイタリア車の世界に足を踏み込んだのかは前述
の通りだが、いくつかの惚れポイントは明確だ。
1. 唯一無二であるから
まずはこれ。そのクルマの希少性、特異性がズバ抜けているのがマセラティ。例えば当時の年間生産台数は8,500台でこれはポルシェの1/25以下だ。まず絶対の母数が少ない。中古車サイトを覗いてみれば一目瞭然で大衆車の部類ではないことがわかる。そしてフェラーリやランボルギーニより知名度が低い。大体は「マセラティ?はて?」となる。どこの国のクルマかはまず出てこない。だがこれは決して残念がることではなく、わかる人にはわかる、ニッチな人向け。つまり乗っているクルマを公言して嫌味になることがない。でも字面からタダモノじゃないオーラだけは伝わってくる。そしてフェラーリのエンジンを積んだセダンなんて唯一無二以外の何物でもないだろう。そもそもそんなクルマが存在していることが奇跡みたいな話だ。人と被りたくない、だけど突き抜けたものが好きで実用性も無視できない。そんな欲張りな人に刺さりまくりの1台がこの年代のマセラティ クアトロポルテなのである。
2. 究極のピニンファリーナデザイン
何と言ってもデザインの良さは特筆ものだ。押し出し感がトレンドのカッコイイ高級車の真逆を行くこのデザインは、究極のイタリアンデザインを表現したとされている。特にCピラーにかけての曲線は素晴らしい。現行のクラウン、ダッジチャージャーやチャレンジャーもクォーターパネルにかけて似たようなボディラインを持っているが、やっぱりクアトロポルテが1番洗練されているように思う。これは奥山氏が公言されていることだが、スポーツカーの理想のデザインがボディ真横からのS字なのだという。これをしっかり採用していることからも、クアトロポルテは紛れもなくスーパーカーに通じるスポーツカーなのだ。また内装もポルトローナフラウ社製のレザーがふんだんに使用され、伝統のアナログ時計をはじめその仕立ては工芸品レベルの極致を愉しめる。そんなキャビンに腰を落ち着かせキーをひねると、妖艶さのデザインから想像もしないあのサウンドが発せられる。このギャップも恐ろしくクアトロポルテの個性を際立たせているのだ。
3. 前期デザインを選んだ理由

一般的に輸入中古車を購入する際は後期モデルを選ぶのが良しとされている。それはマイナーチェンジで初期不良が解消され、使い勝手、デザインなどにもテコ入れが入り、その後フルモデルチェンジがあっても古く見えないという利点があるからだ。例えばBMWの常套としてはマイナーチェンジでライト周りがLEDになってくる。パフォーマンスも上がってより洗練になってくるという意味で後期モデルは積極的に選ぶに値するのだ。
私にこだわりがさほどなく、「安全に」と考えたら2009年以降の後期モデルを選んでいただろう。しかし私は前期フェイスを選んでいる。単純にそのデザインのピュアモデルが欲しかったからだ。後から別の手が入ったマイナーチェンジ後とは違い、ピュアモデルは最もデザインの味が濃い。細かい部分の辻褄も合っている。クアトロポルテに限らず、イメージ画のデフォルトがほとんどそのまま反映されている初期モデルというのは、後期にはないオリジナルの魅力がまたあるものだ。2006年時点で奥山氏がピニンファリーナを離れているのもあるが、できるだけ余計なものが加えられていない純な年式にこだわった(機構的にデュオセレクトは外しているが)。
そしてもう1つ前期は4.2Lであること。後期の4.7Lは4.2Lに比べてパワーは出ているが音が重低音の太い音になっている。いわゆるマセラティサウンドでフェラーリの甲高い乾いた音に近いのは実は4.2Lの方なのだ。
4.ネロカーボニオ×赤内装の魅力

特別なクルマにとって黒と赤の組み合わせというのはベタといって良いが、いざ実車で行おうとすると結構ハードルが高かったりする。真っ赤な内装にしたら目がチカチカするのではなかろうか?や毎日乗るのにどうなのかな、疲れないかな等、つまりは実用性を重視しがちだからだ。けれどもそういった葛藤に打ち勝って手に入れた特別な空間は、飽きが来るどころかより一層の特別感を演出してくれる。
なぜネロを選んだのか。中古車である私の場合「たまたまそうだった」が回答になるが、探していた時にビアンコだけは外していた。これには私なりのワケがあって、これまでBMWで白を選んできたこと、5mを超える大柄ボディに白は余計に大きく見え、せっかくのボディラインが綺麗に見えないからということだ。黒ボディのクルマは初めての所有になるが、メタリック塗装のためそんなに神経質になっていない。もちろん白よりは洗車傷や摩擦に気を遣うが、まぁそこそこ年代物だしそこは精神衛生上も割り切っている。
この個体を最初に新車オーダーしたオーナーのセンスは抜群だと思う。この組み合わせは見た人、乗った人からの評判はかなり良い。珍しさもあるだろうが、このクルマのキャラクターに非常にマッチしている。派手な内装色も乗ってしまえば気にならず、ちょっと目線をずらせばフェラーリレッドが特別感を醸し出す。これが自分のクルマなんだ。「無難は退屈だ」、イタリアの情熱がそう語っているようだ。
こうして見るとクルマ1台で語れることが沢山あり、古いクルマとはいえ誇り高いそのオーラは薄れることはない。運転していなくても「持っている」だけで満足できるクルマはそうそう多くはない。眺めてよし、乗ってよし、乗せてよし、話してよし。何かと話題性に事欠かない(故障を含めて)このクルマは正真正銘の唯一無二なのだ。ただし誰にでもおすすめできるかと言えばそうではない。故障が心配で現代マセラティを選ぶ人は別として、今あえてフェラーリ時代のマセラティを選ぶのはよほどの好き者であるはずだ。そしてそれを選ぶその人もまた、唯一無二なのである。