デザインの考

f:id:tokainorookie:20211115122702j:plain

なぜこうもE60のデザインに魅かれるのか。

それは量販車には珍しく突出した個性を持ったクルマだからだ。

“振り切っている”のは万人には受けなくても、ハマれば熱狂的な支持を得られる。

フェラーリランボルギーニ然りだ。

それを一般的な乗用車に採用したチャレンジ精神が私は好きだ。

 

2人の天才

f:id:tokainorookie:20211115123352j:plain

偶然揃ったE60(左)とE65(右)

かつてのチーフデザイナー クリスバングル。

2000年代初頭から始まったBMW車のデザイン改革は、まさに彼の手により行われた。その時代のすべての車両がバングルがデザインしたと思われがちだが、実はそうではない。彼は執行役員兼チーフデザイナーとして、デザインチームが創ったものをエンジニアチームに持っていき、これではエンジンが収まらないからやり直しだ、などと水面下で各部の調整役として動いていたことはあまり知られていない。より良いものを創り出すために、そしてSUVの次に流行るクルマはなんだと常に時代の先端を睨みながら、何百人という部下を動かし、アメリカへ送り出したエピソードもある。

当時の右腕だったのが現在のチーフデザイナー ホーイドンクだ。バングルのデザイン改革のほとんどはホーイドンクが携わっている。チーフになって全体的にコンサバ路線に戻ったものの、やっぱり鬼才の右腕だっただけあり、G22では奇抜なグリルで世を驚かす。

 

さて、バングルは2001年に自らがデザインしたE65を世に送り出している。

彼の描く線は好きな人はもう堪らなく好き。嫌いな人はとことん嫌いというのが特徴。バングルのデザインは時代の先を行き“過ぎて”おり、見た側はそれを素直に受け入れることができない。カッコイイか、カッコ悪いか。こうも二極に物議を醸したカーデザイナーも少ないのではないだろうか。

 

そんな変革者の下でE60をスケッチしたのは、イタリア人であるダビデアルカンジェリだった。

彼が描いたE60も歴代5シリーズの中では明らかに異端児のツラ構えである。アルカンジェリはピニンファリーナ在籍時に360モデナや406クーペといった名車を生み出す。元々はプジョー用に書き下ろされたE60だが、しっかりBMW車としてのデザインが成立している上に、どこかイタリア風の妖艶さが漂っているように思う。ただしそれはマセラティに感じるような全面に主張した妖艶さとは少し違う。あくまで質実剛健なドイツ車であるというスタンスは邪魔させない。病気でE60が遺作であるというストーリーを持ち合わせながら、ピニンファリーナ出のイタリア人が唯一デザインしたBMWと言えば、いかにこの車が特別で希有で異端かわかる。

それではアルカンジェリとバングルが生み出した傑作の一部を紹介しよう。

 

神は細部に宿る

f:id:tokainorookie:20211115123554j:plain

バングルデザインが好きだという人でも、おそらくどこか一部に違和感を感じるはずだ。その違和感とは何なのか。私のような凡人には理解できないが、実はその違和感すら緻密な計算の上で成り立っている。

 

全体的なフォルムはロングノーズ、ショートオーバーハングを基本とし、FRスポーツの雄としての風格は十分だ。猛禽類をイメージしたヘッドライトはフェンダー部分まで回り込んでつり上がり、ライトそのものがボディラインを成している。「目」を中心として見ると、ボンネット側とフロントバンパー側への造形も凝っており、陰影ができると非常に彫りが深い面構成だとわかる。キドニーグリルから伸びるラインと目頭を通る2本のラインも絶妙だ。

f:id:tokainorookie:20211216123819j:plain

流線形を基調としながらエッジと面を巧みに合わせ、ルーフラインを落としていくとトランク並びにテールライトを分割する線を成す。そしてドライバーズポイントはクルマの前後ちょうど真ん中になるような配置だ。前後重量配分は車検証上51:49(それでもわずか10kgの差)であるが、自分を中心にクルマが動いているような錯覚になるだろう。

目尻からのラインはそのまま後方まで貫く。最近のモデルではこのライン上にドアハンドルを持ってきてよりシャープさを増しているが、E60では独立したラインを持っている。プレスラインは深くないので、前後に比べるとサイドは能面な印象だ。ホフマイスターキンクもE90に比べると腰高で絞りが少ない為にマイルドというか、ややおっとりした感じを受ける。

f:id:tokainorookie:20211115124728j:plain

後方まで貫いたラインはテールライトのウインカー部分に合流し帰結する。このテールライトも前と同様、リアセクションの大事な面を構成する部品であるが、特筆すべきはライト単体で見ると外枠がヘッドライトと同じ形をしているということだ。

一方で目頭を通るラインは各窓の下部を走り、その後トランクリッド上部からバングルバットを構成する一部となる。線から面への変換である。これは前方から見た時と、後方から見た時とでだいぶ印象が変わる顔を持ち、独立したトランクが宙に浮いているように見える。加えてMスポーツはデロンと上部にせり上がったリアディフューザーを擁しており、サイドへの盛り上がりを含めて非常にグラマラスなヒップであることがわかる。

 

低く、獲物を狙うような鋭い眼光は空の王者の猛禽類を、トランクの処理はアメリカの名建築家フランク・ロイド・ライトの傑作「落水荘」をオマージュ。従来見慣れたクルマのデザインではなくあまりに斬新過ぎ、発表当時はきっと異種混合の「新生命体」に見えたに違いない。だからこそ魅かれる者と、敬遠する者とに分かれた。

ただ冷静に見ればシンプルかつオーソドックスな構成であり、チグハグに見えるものが、実は大事な部分を構成する核を成している。ぱっと見ではわからない所がまさに違和感として残る部分であるが、計算された上にあると ああ、なるほどと思う。

すべての伏線を回収する映画のように。

f:id:tokainorookie:20211115125426j:plain

ペンシルバニア州にある落水荘  hash-casa.com

 

素晴らしいクルマは芸術である

一見奇異に映るディティールの処理やキャラクターラインの扱い方から、当時は評価を二分したE60。特異なデザインは飽きが早かったり急に古ぼけて見えてしまうことがある。しかし彼らが手掛けたエクステリアデザインは今見ても古さは感じられず、時間が経っても色褪せない先鋭さに特徴がある。こうも有機的なデザインでエキサイティングなクルマが他にあるだろうか。

素晴らしいクルマは芸術である。そして芸術は時代が変わっても不変だ。

 

クリス・バングルは言う。

「ファッションは好き嫌いで済むが、デザインはおおいに議論すべき。1つのメーカーのデザインが安定してしまうと、それを見る人々の思想も固定されてしまい、顧客が固定されてしまう恐れがある。そしてタイムフレームの問題がある。革新的な作品は最初、人々は驚きますが、理解されるようになり、評価が完結する。現在のBMWのデザインも5年、7年と時間が経過してから、評価が決まる」と。