ついに来た納車の時
今年の夏はとにかく暑かった記憶しかない。ジリジリと陽射しが照りつけ蒸し暑く息苦しかった中での納車となった。
そもそも納車は春頃かなと思っていたのが夏になったのにはワケがある。オイルヒートエクスチェンジャーという部品の交換があったからだ。いや、何も絶対交換というものではなかったらしいが、車検上がりで走行チェック中にオイルの臭いが気になり、急遽整備に回したという。ここの対応は経験豊富なお店の計らいであったものの(おそらく社長でないとわからない)、部品は本国発注となりエンジンのバラシもあったことから相応の工数であったに違いない。
他にも内外装の磨きやウィンドウレギュレーターの交換、さらにタイヤ交換など、納車までのチェックを一通りこなしついに念願の日を迎えた。
ナンバーが付いたクアトロポルテは新たな魂が宿ったように見えた。
低く構えたファニーな顔つきにのびやかでグラマラスなボディラインが際立っている。
わずかにクランキングが短くなったM139の火入れは実に官能的なサウンドを発した。「これだ。」求めていたサウンドだ。力強くも上品なこの音を、もう聞きたいときに聞けるのである。なんと幸せなことなんだろう。
販売店の駐車場を出、初めての左ハンドルに戸惑いながらスルスルと発進する。このV8エンジンはオーナーの意とは真逆にどんどん四輪を前に押し出そうとする。世界最高峰のシルキーシックスよりも更にシルキーに感じるモデナ製のそれは、今まで経験のないトルクとパワーの余剰を感じ理性を保つのがやっとだった。とにかく家に着くまでが闘いである。今は完全にマセラティに乗られてしまっている。ただ何もないことを祈りながらハンドルを握っていた。
しかし何だろうか、このシットリとした乗り心地は。それまでのBMWとは明らかに違うシットリ感だ。グレードトップのGT Sでスカイフックでないシングルレートダンパーのはずだが、何の突き上げ感もなくタンと段差をいなしていく。貴族の乗り物、これぞまさにマセラティの世界観なのだろう。
マセラティを選ぶということ
私は今、それまでのクルマとの向き合い方と考えや価値観をアップデートしている最中である。その詳細は次回レポートしたいと思うが、マセラティに乗るということはどういうことなのか。
相当の財源と覚悟を用意して一部の人だけが手に入れられる至福。こういう表現も事実に則っていると思うが、話はもっとシンプルで要はマセラティに乗るのに何を差し出せるのか。好きなクルマに乗るのに何を手放すことができるのか、だ。当然維持もコストもそれなりにかかるが、ここは可処分所得によって大きく変わってくる。それよりもマセラティに乗る心意気を持つことの方が大事になってくる、特にこの手のクルマにはそう思うのだ。
危険なカオリのする中古マセラティ。
イタ車あるあるなのか、ビギナーへの洗礼なのか。それでもマセラティを選ぶということ、次回はその答え合わせと行こう。