「壊れたら直せばいい。それもイタリア車の楽しみ方」と言い切る社長の言葉には説得力があった。別に社長の口車に乗ったわけではない。が、クアトロポルテに乗りたいという魂は預けることができたし、結果イタリア車へのハードルを下げてくれたのは事実である。やはり改めて思う。誰から買うかの大事さを。
洗礼かあるあるか
興奮と不安が入り混じる納車の時を終え、晴れてエレガントなマセラティライフをスタートさせたわけだが、ドイツ車から入った小生は早速違和感と闘うことになる。
まずはフロント足回りから盛大にガチャガチャコトコトと音がする件である。特に段差や荒れた路面を走ると顕著に発生し、恥ずかしいくらいに歩行者に振り向かれる。フロントのコトコト音はサスペンションの締め付け不足が原因でリコールにもなっており、点検記録簿を確認したところ漏れなく処置されていた。とはいえ運転する度に共振した音になってくるのでこれは早速点検依頼とした。
次に起きた出先でのクーラント漏れである。
立体駐車場に停め置き、同乗者が降りたところ冷却水の水溜まりに気がついた。一瞬ウチじゃないと思い場所を移動したら下部からダブダブと漏れてきているのを発見した。あそこまで盛大に垂れ流してくれると逆に気持ちの良いものだが、すっからかんになったサブタンクにペットボトルの水を足して様子を見たところ不思議なことに漏れはピタッと止まり、以降症状は出ずにいる。
そしてこれは些細なものだがフロントタイヤの空気漏れが恐らくバルブ付近からあると思われ、こちらはこまめに空気圧のチェックを行うことで現在様子見をしている最中である。
そんなわけで納車してから1か月、購入店に一度戻すことになった。
40日間の強制入院をお願いし、9月の半ばに退院、今は機嫌良く私のそばにいてくれている。すべてのものが綺麗に治ったわけではないが、入り口がドイツ車から入った者からすると短期間で考えられない事が次々に起こっている。が、私は決して怒っていない。むしろイタリア車オーナーならではの体験をして幅が広がったような感じさえある。びっくりする様なことが起こっても心は笑顔なのだ。
なぜなら私の愛車はマセラティ、ラテン車オーナーなのだから。
不具合があれば直したらいい
そう、ただそれだけの事だ。だがこんな風に腹を括って割り切れるようになったのは、やはりイタリア車オーナーになったからだろう。例えばハンドルに付いた各スイッチはダミーだなと思わせるほど押しても何も起こらないし、リアのエアコンは効かず前席だけ夏は快適。電動サンシェードのやる気も気まぐれだし、運転席のドアも閉めるのにちょっとしたコツがいる。内装のベタつきはやっぱりあって、ボンネットとトランクのダンパーは最近交換したけれど。
だけど、だけどね。エンジンをかけた瞬間、そんなのは些細なことなんだと吹き飛ぶ。これがイタリア車の面白い魅力で、きっとBMWだったら気になって気になってすぐに直したいと思うのだろうが。
社長は言う。
「人間もクルマと同じで歳とりゃあちこちガタは出てくるし、薬飲んだり医者に通ったり。それで身体を維持していってる。若いうちは何ともないが、でも若い人にはない魅力だったり味がある。クルマも同じだよ」と。
「そりゃあお金をかけたら直るだろうし新車同様になるけど、見た目綺麗なだけってより年相応に味のあるものを大事にしたらどうだ?ルーキーにはなるべくお金をかけず乗ってもらいたい。もし部品交換などしていくなら出費の少ないところからやっていこう」
と社長流のイタリアンイズムを教えてくれる。まぁそう思うとちょっとした不便が妙に心地よくなってくる。1ミリのチリのズレも許したくないドイツ車にはない未完成、未成熟なものへの愛おしさ。これはマセラティだから許されている特権なのかもしれない。
加えてイタリア車は壊れるというが、それは今まで乗ってきたクルマが壊れなかっただけでイタリア車から入った人に言わせればこんなの故障じゃないよと笑う。つまり育った文化が違うから受け入れられないというロジックなんだろう。私はマンマミーアで笑って終わる現地のイタリア人を社長に重ね(想像)、会う度に勉強をする。そしてイタリア車オーナーの気質を学び、マセラティオーナーとしての誇りと柔らかさを得る。こんなもんだよマセラティはと言われればストレスを感じなくなる。イタリア車オーナーがおおらかで豊かに見えるのは、こういった思考を持っているからなんだろう。
私の回答
マセラティに乗るということ。
それはそのブランドを愛し、ありのままを受け入れるということ。完璧を求めすぎず未完成の完成を良しとする。クルマへのマインド変更は少々必要かもしれないが、一度マセラティに魅せられたら沼に入ることは間違いなしだ。あとは早くマセラティが似合う伊達男をめざすのみ。