tokainorookie’s blog

やさしい輸入中古車を買って人生に彩りを🇮🇹

アガリの車に乗った心境とは?

クルマ好きなら人生の目標となるクルマや一生手放したくない最後に買うクルマ。それは最高の一台かもしれないし、複数台に及ぶかもしれない。人によってアガリの定義はさまざまだろうが、一般的に言ったら憧れのクルマ、ということになる。

ガリの定義を考える

まず「あがる」という言葉の意味は非常にたくさんあり、クルマというカテゴリーで使われるのは物事の終わりや完成する、仕上がるという意味になるだろう。すごろくやカードゲームにおいて勝つ、よって物事が完結するという具合である。アガリの車に乗って自分の人生が完成した、や愛車遍歴にピリオドを打った、そんな時に登場するのがアガリの車である。ただ人生の終焉だけとは限らない。若くてもこれ以上刺さるクルマはないなと思えばそれはあがっているし、クルマのカテゴリー毎にアガリが存在している人もいるだろう。結果的にあがってしまったという人もいる。これらすべてに共通することは、

「現時点で買い換える予定もつもりもなく、甚だどのクルマよりも満足していて、他人に聞かれても惚れ込んだ要素が3つくらい答えられる。他にクルマを持っていても、コイツなら棺桶にしてもいいと言えるほどに愛でており、しかも手に入れるまで想っていた期間が10年単位。」

大方こんなところではないだろうか。そんな状態であれば紛れもなくそれはアガリの車だ。

 

あがってしまった人の心境

誰もが到達できるわけではない境地。あがってしまった人は果報者だ。

私はクアトロポルテを手に入れて心の底から良かったと思っている。他にも素晴らしいクルマはごまんとあるが、私はこのクアトロポルテでなければダメなのである。もはや病気である。焼き増しの表現になってしまうが、妖艶なスタイリングに実用性が確保されていて、そこに天下のV8フェラーリエンジンという弩級のユニットがぶち込まれている。それだけでソソられるのに、エンジンをかけたその音色はとてもセダンの音とは思えない甘美なもの。決して完成された個体ではないけども、何かが宿っているような、もうこれ以上自分の感性にビタッと合うクルマは他にはないと思っている。どうにかなったらナンバーを切ってでもそばに置いておきたい、そんな風にまで思う。

そこまで極めると、今度はまわりに優しくなれる。いろんな車種に寛容になれるのが今の私の心境だ。それまではいいなと思っても、憧れのクルマが絶対神のごとく存在しているので比較してしまいこれに敵うわけないと思ってしまっていた。ところが手に入れた事による安堵か満足か、仏様のように許すことができてきた。そういう選び方もいいよね、という具合に。上から目線で申すわけではなく、今まで関心のいかなかったジャンルのクルマにまで関心を持つことができた。これはスポーツセダン一辺倒だった私にとって大きな変化である。

 

次にくるクルマとは?

Anniversary.co.

ガリの車を手に入れたことによって訪れた寛容という名のプレゼント。今までだったら絶対に向かなかった食指が、今イタリアンコンパクトに向けられている。本気で買おうとしているわけではない。次買うとしたら(クアトロポルテは大事にとっておいて)何がいいかなと妄想しているのである。情熱のイタリアンテイストを濃くするか、堅牢なドイツプレミアムを再度味わうか。代車で借りたA4アバントが思いの外良かったな〜とか。手頃なクラシックフェラーリを愛車遍歴に加えてみるのも悪くない。

多少欠点があったって、自分には最高の一台が手元にあるのだから最強である。ある一点で飛び抜けていた嗜好が、横広がりに及んできた。別に自分名義でなくたっていい。普段の生活に少しだけ華を添えてくれればいいのだ。

ガリのクルマを手に入れると、人は優しくなれる。そして視野が広くなる。クルマ好きなら是非ともアガリの一台を求めてみてはいかがだろうか。